大日本帝国のクレオール―植民地期台湾の日本語文学



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大日本帝国のクレオール―植民地期台湾の日本語文学
大日本帝国のクレオール―植民地期台湾の日本語文学

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文化伝播の研究としてみると興味深いのだが

日清戦争の結果、台湾は日本の領土となった。それまでは原住民(本書では高山族)と比較的近年になって大陸から移住してきた人々とその子孫(本書では台湾人、前者と合わせて現地人)が居住していた。そして敗戦までの51年間の日本の統治後、国民党軍の占領を経て現在に至っている。言語、宗教、文学など文化伝播のフィールドとして見ると極めて興味深い事例である。著者は日本統治期とその後における言語、文学などの文化空間を日本人作家、そして各時期の現地人の著作で生き生きと描き出す。今まで余り知られていなかった作品が紹介された労作である。

ところで、著者は日本で1990年代に台頭したという所謂「ポストコロニアル研究」の一環の研究として本書を位置づけているようである。しかし、研究の視座をそこに固定させてしまうのは如何なものだろうか。『日本語で教育を受けた世代全員が、植民地の最後の記憶、言語、詩歌をあの世に持っていってしまうまで、ポストコロニアルの時代は真には始まらないのだ?』との断言は、建設的とは思われず違和感がある。かえって台湾人としてのアイデンティティ・知的財産を失うのではないか。

尚、本書は研究書というに相応しく、極めて丁寧な注と引用資料が添付されている。それを参照しながら本書を丁寧に読み進めることをお勧めする。著者の主張の所以を知ることは、本書を読む楽しみの一つとなろう。

忘れられた〈日本語文学〉

本書は、太平洋戦争当時、大日本帝国の占領下にあった
台湾や南方を舞台にした日本語文学論です。

日本人の作家(中島敦・林芙美子など)、台湾育ちの日本人作家(西川満)、
台湾人の作家(郷土文学派―楊逵・呂赫若など、皇民文学派―周金波・陳火泉など)の
〈日本語〉による文学/テクストを精読することで、清朝、日本、国民党と
統治者が入れ代わり、日本(人)、中国(人)、台湾(人)、台湾原住民等の
多層的な言語・文化のクレオール化(複合、接触)が進行した
植民地期の台湾の実相を丁寧に描き出しています。

特に、中国・台湾・日本のクレオール化に適応しようと、
個人的・文化的アイデンティティを探究しつづけ、
新たな文語体を模索しつづけた、台湾人作家たちの苦悩は、
いまもって台湾の人々が抱える民族的アイデンティティのゆれ、
それが故の苦悩を如実に示しているといえます。
また、クレオール化の中に立ち現われるそれぞれにとっての他者の多様性・多義性を、
複眼的・多層的な視点から繊細にありのままに描き出した本書は、暗に、
人種・民族の固有性・単一性幻想を打ち砕くものとしても読めるのではないかとおもいます。

対象とされた日本語テクストは、〈日本語〉で書かれたものであるがために、
戦後に台湾や中国で読まれることはなく、また当時の苦々しい記憶を
抹消したい日本においても読まれることなく、歴史の闇に埋没しています。
著者の一文「日本文学史の空欄を埋め、世界の植民地的状況に関する記録に、
類まれな経験の一ページを付加するもの」として、
私たちはいま、あらためて、〈忘れられた日本語の文学〉に
光を照らすべきなのかもしれません。



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